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「公文書」
それは誰かが時間と神経を削って作ったもの。
意図と責任を無視されたら、公務の信頼は崩壊する。
「書く仕事」が「隠し事」になるなんて、あってはならない話だ。
文書には作成者の血と汗が混じっている。
これは比喩でもなんでもなくて、現場で文書を作る側の人間なら一度は感じたことがあるはず。
上からの指示と現実のギャップに挟まれながら、制度や法律を調べ、前例を確認し、関係者に根回しをし、文言一つに気を配って作成する。
一字一句、修正が入るたびに胃がキリキリして、深夜にようやく「これで通るだろう」と思えるレベルにたどり着く。
そうやって生まれた文書が、簡単に「改ざん」されたり「黒塗り」にされたり、「文言を和らげろ」と口を出されたりする。
そして公務員の文書作成は、ただの書類作成じゃない。
そこには責任と意味、そして覚悟がある。
今回のテーマは「文書に対して敬意をはらう」という話。
以前、森友学園問題に関する文書改ざんをめぐり、国が上告を断念したというニュースが流れた。
その背景には、文書を作った当時の職員が、職務に精励した結果として亡くなったということを「考慮」した姿勢があった。
それは「責任を明確にしないまま幕引きする」という意味でもある。
何かを隠そうとして文書をいじるような仕事に、正当性なんてあるはずがない。
そもそも公文書は、誰かのために作られるものではなく、国民全体のために作られるもの。
開示請求されることを前提に作られているし、後々の検証や監査の対象にもなる。
なのに、文書全体を「のり弁」にしたり、都合のいいように「修正」してしまえば、その時点で信頼が壊れてしまう。
これは単に役所の話だけじゃなくて、民間でも似たようなことはよくある。
上から「こう書いとけ」と言われて、納得できないままサインを入れたり、嘘じゃないけど真実でもない文言を載せたり。
そんなことを繰り返していたら、文書の意味なんて消えてしまう。
そもそも、文書を軽んじる風潮はどこから来たのか?
SNSでの軽い言葉、チャットで済ませるやりとり、誰でも「それっぽい」資料を作れるテンプレート社会。
そうした便利さの裏で「一つの文書を仕上げるまでにどれだけの知識と苦労が必要か」という感覚がどんどん薄れている気がする。
書くことの重み、残すことの責任、そして公開されることへの覚悟。
それがないまま、文書が「ただの言い訳」や「調整の道具」に使われたら、それこそ公的記録は終わりだ。
そしてもう一つ言っておきたいのは、「隠す公務」より「伝える公務」であってほしいということ。
国民が知る権利を持っている以上、誠実な情報公開と説明責任はセットであるべきだ。
見せられないものがあるなら、それは見せられない理由を明示すべきだし、最初から見せることを前提にした書類の作り方を徹底するべきだ。
現場で文書をつくる人たちが「また黒塗りになるのか」と思いながら書いていたら、それはもう死んだ書類でしかない。
仕事の中で、意味のある文書を書けたときってやっぱり嬉しいものなんだ。
その小さな達成感の積み重ねが、行政の信頼や組織の品格を作る。
どうせ誰も読まない、どうせ書いても意味がない。
そんな空気になったら、もうおしまい。
文書の軽視は、仕事そのものの軽視に繋がる。
公務に限らず、文章を書く仕事がメインな人の参考になる本を。
・書籍「「文章術のベストセラー100冊」のポイントを1冊にまとめてみた。」:Amazonで見る
文章に関するテクニックは世の中に数多く存在する。
だからポイントをまとめました!的な一冊。
「誰かに何かを伝える」ことが一番の目的。
その上で、難しすぎず幼稚すぎない作成を心がけたい。
・書籍「記者のための情報公開制度活用ハンドブック」:Amazonで見る
ネットに誤情報や嘘が蔓延する中、正確な情報を求めるため、公的機関に対する情報公開開示請求は情報を求める者の強い武器である。
ジャーナリストに向けた本だが、調査や研究に携わる人にも参考になる一冊。
・書籍「自治体職員のための情報公開事務ハンドブック」:Amazonで見る
市町村役場の情報公開事務の件数は上昇傾向にあるという。
開示請求"される側"の立場で、情報公開制度をおさえておきたい。
公務員の"なり手"不足が叫ばれて久しい。
それは「公務員の仕事に希望ややりがいが見いだせない」というのも要因の一つ。
書くことに誇りを持てて、「どうせ消される」なんて思わなくていい職場になるといいね。
どちらも1日1ポチ応援いただけると嬉しいです!


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