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フジテレビに根付いていた“女子アナ接待”の実態。
「夢を売る仕事」だって、誰かの犠牲の上に成り立っていい理由にはならない。
それはファンタジーじゃなくて、ただの搾取だ。
2025年3月末に公表されたフジテレビの第三者委員会の報告書によって、ついにフタが開かれた“女子アナ接待”というあしき慣習。
その実態は、ただの社内文化ではなく、はっきりと「性暴力を生んだ企業風土」として指摘されている。
制作会社スタッフや放送作家など業界関係者からも、フジテレビが特に女子アナを酒席に同行させる割合が高かったという証言が次々と出ている。
中には、人気ドラマを手掛けていた有名プロデューサーがその接待を仕切っていたという声も。
会合の場では、女性アナが年配の男性に合わせてカラオケの選曲を工夫したり、“指名”されることが常態化していたとの話もある。
職務外の振る舞いを求められる構造は、すでにハラスメントの域を超えている。
こうした背景から、フジテレビの女子アナはいつしか「アナドル(アナウンサー+アイドル)」と呼ばれ、タレント的な振る舞いを求められる存在へと変質していった。
プロ野球選手、フィギュアスケーター、芸人、俳優との結婚が目立つ背景には、会社ぐるみで構築された“接待”の場があったという説もある。
もちろん、本人たちの自由意志による交際や結婚を否定するわけではない。
しかし問題は、そうした“関係性づくり”が業務の一環として半ば義務のように組み込まれていた点だ。
企業の中に根づく「おもてなし」文化が、女性社員だけに負担を強いる構造になっていないか。
「華やかだから」「見た目がいいから」「若いから」
そんな理由で、裏方の仕事以上の“役割”を強要されるのは、明らかに職業選択の自由を侵害する。
メディアは本来、社会の不公正を報じる立場にあるはずだ。
その中枢にあるはずの大手放送局が、自らの足元の人権侵害に鈍感だったとすれば、それは視聴者への裏切りでもある。
古い体質を正すのは難しい。
けれど、難しいからと放置し続けると、いつの間にか“あたりまえ”になってしまう。
そしてその“あたりまえ”は、声を上げられない人たちの上に成り立っている。
もう「ノリ」や「付き合い」で済まされる時代じゃない。
そう言える空気を作るのもまた、メディア自身の責任だ。
本件をより深く掘り下げるには、メディア業界の労働構造やハラスメントに関する書籍も参考になる。
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日経新聞電子版の人気連載を書籍化。
法定で次々と明らかになった企業の闇が赤裸々に。
・書籍「メディアの闇」:Amazonで見る
元NHKエース記者が、NHKの裏側を忖度なしに書き尽くした一冊。
官邸からの圧力、巨大組織内で上層部から歪められる報道を暴露。
・書籍「働き方改革の嘘 誰が得をして、誰が苦しむのか」:Amazonで見る
誰のための「働き方改革」なのか考えさせられる一冊。
貴重な人的資源である労働者をコケにし続ける社会は、いつか必ず崩壊する。
一つの企業の問題に見えて、その構造は業界全体、ひいては社会全体に根を張っている。
沈黙は肯定と同じ。
声を上げた人を守れる社会を、声を上げられない人の代わりに考えられる仕組みを、ちゃんと作っていこう。
どちらも1日1ポチ応援いただけると嬉しいです!


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