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スーパーボウル2025開幕。
史上初めて現職の米大統領が観戦した試合として話題に。
国歌斉唱での敬意やパフォーマンスが「わかってる」と評価される瞬間だった。
2025年のスーパーボウルは、試合そのものよりも、スタジアムに現れた「ある人物」によって、一層注目を集めることとなった。
アメリカ合衆国の現職大統領が、史上初めてスーパーボウルの試合を直接観戦したのである。
その人物とは、元大統領としても世界的に知られるドナルド・トランプ氏。
政界でも常に話題の中心にいる彼が、この国を象徴するスポーツイベントに姿を現したという事実は、エンタメと政治が交錯する象徴的な場面だった。
特に注目されたのは、試合前の国歌演奏のシーン。
トランプ氏は起立し、胸に手を当て、静かに演奏を聴き入った。
この一連の所作が、SNSを中心に「わかってる」「ショーの文脈を理解してる」と話題になった。
観客席からは歓声が上がり、スタジアム全体に緊張と高揚が交錯する空気が漂った。
政治信条を問わず、スーパーボウルという舞台では「いかに盛り上げられるか」が重要だ。
トランプ氏はその意味で「わかってる人」として、観客の期待を裏切らなかった。
政治家がエンタメに絡むことには常に賛否がつきまとうが、それでも米国大統領という存在が、観客とともに盛り上がるイベントに「自分の身体を持って参加した」ことは、ある種のメッセージと受け取られた。
「国にとっていい事だと思った」という彼のコメントは、単なる発言以上に、「場の空気を読んだ動き」として受け取られている。
本来、政治とエンタメは水と油とされがちだが、スーパーボウルにおいては違う。アメリカではこのイベントそのものが「国家的祝祭」として機能しており、スポーツ、広告、音楽、政治がひとつのパッケージになっている。ハーフタイムショーもまた、国民的議題になり得るコンテンツだ。
2025年のスーパーボウルでは、パフォーマーの選出や演出も話題になったが、トランプ氏の登場と国歌での立ち振る舞いは、それをすべて飲み込むほどのインパクトがあった。
こうした「振る舞い」は、政治的信条以上に「魅せ方」を心得ている人物ならではの所作と言えるだろう。
エンタメの本質は、見る者をどう感情的に巻き込むかだ。
熱狂か、共感か、あるいは反発か。
どんな感情であれ、無関心ではいられない仕掛けをつくれるかどうか。
今回の観戦という行動は、トランプ氏の「人を巻き込む技術」をあらためて印象づけた。エンタメをわかっている人は、必ずしもエンタメの現場にいるとは限らない。
なお、会場ではアメリカンフットボールならではの迫力ある展開とともに、スタジアム全体がまるで祝祭空間のように盛り上がった。
観客も出演者も、誰もがその瞬間を「参加していた」と感じられる構成になっていた。
そこに「国を背負う人物」が現れたことで、イベントそのものが一段上のレイヤーへと引き上げられた印象すらある。
つまりこれは、単なる政治的パフォーマンスではなかった。
スーパーボウルという“国民行事”の中に、国家元首が「役者のひとり」として登場した構図だった。
そこにあったのはアメリカらしい「政治とショーの融合」であり、そしてその融合を成り立たせるための「演出力」と「空気の読み方」だった。
もちろん賛否はある。
だが、この一件でトランプ氏が再び“話題の中心”を奪取したのは間違いない。
エンタメを「国の力」と捉えるなら、それを自らの演出に取り込んだトランプ氏の手腕は、一定の評価を受けるべきかもしれない。
スーパーボウルというアメリカの文化をもっと楽しむために。
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日本から見ると分かりづらいが、アメリカ共和党内では圧倒的支持を得ているトランプ。
民主主義は完璧ではない。
政治に誰もが納得する正解もない。
ひとつ言えるのは、「リーダーとしての強さ」に人は惹かれるということ。
エンタメとは盛り上げる力であり、空気をつくる力であり、見るものの心を動かす「物語」だ。
どれだけ政策に賛否があろうと、今回のように「その場の流れを読む力」と「魅せる構成」を持つ人物が現れたことで、スーパーボウルという舞台の可能性は更に広がった。
エンタメの中にある"国らしさ"をどう演出できるか。
そこに真価が問われていたのかもしれない。
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